中村寅吉氏が死去されました。死因は老衰とのこと。中村寅吉氏は戦後のゴルフブームの立役者にして、日本プロゴルフ界の第一人者である。中村寅吉氏は、ゴルフの国別対抗戦の初優勝、日本人初のマスターズ出場、シニアプロとして初のエージシュートを記録するなど輝かしい実績を残した。中村寅吉氏のご冥福をお祈りします。
中村寅吉氏 画像

中村寅吉とは?
神奈川県横浜市出身、1915年9月17日生まれ-2008年2月11日逝去、『トラさん』の愛称で親しまれたプロゴルフ選手。
中村寅吉は、14歳でゴルフを始め、1935年にプロ入りした。日本のプロゴルフ界の第一人者として、ゴルフの国別対抗戦の初優勝、日本人初のマスターズゴルフトーナメントへの出場、シニアプロとして初のエージシュートを記録するなど輝かしい実績を残した。
中村寅吉氏の経歴
- 1935年:プロゴルファーとしてデビューする
- 1950年:日本オープンゴルフ選手権にて初優勝
- 1957年:カナダ・カップ(霞ヶ関カンツリー倶楽部)で、小野光一と共に日本代表として出場。団体戦優勝、中村寅吉自身も個人戦に優勝する。これが日本のゴルフ発展のきっかけとなった。
- 1969年:シニアツアー転向する
- 1974年:日本女子プロゴルフ協会初代会長に就任
- 1981年:65歳で出場した関東プロシニアゴルフ選手権初日に「65」で回り、エージシュートを達成
- 2008年2月8日:老衰のため逝去
中村寅吉の戦績
- レギュラーツアー:通算25勝
- シニアツアー:通算12勝
- 獲得タイトル:日本オープンゴルフ選手権3勝、日本プロゴルフ選手権4勝
中村寅吉氏の死因『老衰とは?』
老衰とは、年老いて死ぬ事。死因が、外傷や病気などでなく、自然に亡くなった場合(自然死)の事を言う。生物学・医学的には老化に伴って個体を形成する細胞や組織の機能が低下し、恒常性の維持が不可能になることが原因である。通常、病死とは異なるものとして扱われる。
中村寅吉氏が死去=ゴルフブームの火付け役、92歳
1950年代に大活躍し、戦後のゴルフブームの火付け役となったプロゴルファーの中村寅吉(なかむら・とらきち)氏が11日午後4時15分、老衰のため神奈川県座間市内の病院で死去した。92歳だった。神奈川県出身。近日中に近親者のみで密葬を行い、後日ゴルフ関係者による合同葬が行われる見込み。
日本ゴルフ界の大御所的存在。戦前にキャディーから自己流でゴルファーとしての腕を磨き、戦後に実力が開花した。日本オープン3勝をはじめ日本プロ4勝、関東オープン7勝など1950年から68年まで代表的プレーヤーとして活躍した。57年に東京・霞ケ関CCで開かれた国際大会カナダ・カップ(現在のワールドカップ)では個人優勝を果たし、小野光一と組んだ団体戦でも優勝。「ピート中村」の名で世界にも知られた。
シニア入り後もプレーに情熱を燃やし、81年の関東プロシニアで65をマーク、日本で公式戦初のエージシュートを達成した。樋口久子、安田春雄ら多くのプロを育て、「寅さん」の愛称で親しまれた。日本プロゴルフ協会相談役、日本女子プロゴルフ協会顧問を務めていた。<2月11日 時事通信>