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加藤博一 肺がんで死去

加藤博一さんが肺がんの為、56歳という若さで死去されました。加藤博一の大洋での現役時代は、『スーパーカートリオ』として活躍し、多くのプロ野球選手から慕われていました。加藤博一のプロ野球ニュースでの笑いを交えたコメントがもう聞けないと思うと残念でなりません。加藤博一さんのご冥福をお祈りいたします。

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加藤博一 画像

加藤博一とは?

加藤博一は、1951年10月9日生まれ、佐賀県多久市出身の元プロ野球選手で野球解説者。

多久工業高等学校(現在の佐賀県立多久高等学校)から1970年テスト生で西鉄ライオンズに入団。1976年、阪神タイガースに移籍し、レギュラーに定着。1983年、横浜大洋ホエールズに移籍。高木豊、屋鋪要と「スーパーカートリオ」を結成。そのキャラクターでファン、選手に親しまれ、1990年まで21年間現役生活を送った。

現役時代から「面白いキャラクターの野球選手」として有名で、プロ野球界オフの主役としてプロ野球ニュースなどにたびたび登場し、1991年よりフジテレビの野球解説者を務めた。2008年1月21日午後0時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で死去。享年56という若さだった。

肺がんとは?

肺癌(肺がん)とは肺に発生する、上皮細胞由来の悪性腫瘍。90%以上が気管支原性癌、つまり気管・気管支、細気管支あるいは末梢肺由来の癌である。

    <肺がんのデータ>
  • 世界の死亡者数 1,300,000人(2005年)
  • 日本の死亡者数 62,063人 男性45,189人・女性16,874人(2005年)
  • 日本の患者数 67,890人 男性48,184人・女性19,706人(2000年)

WHOの試算では、肺癌による死亡者数は全がん死の17%を占め最も多く、世界中で年間130万人ほどがこの疾患で死亡している。日本では2005年の統計で、全がん死の19%を占め、男性では全がん死の中で最も多く、女性では大腸癌(結腸がんおよび直腸がん)・胃癌に次いで3番目を占めている。

加藤博一氏肺がんで死去 大洋時代にスーパーカートリオで人気

阪神、大洋などで活躍した元プロ野球選手で、野球解説者の加藤博一(かとう・ひろかず)さんが21日午後0時54分、肺がんのため横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。葬儀・告別式は未定。2年前から、がん治療のため入退院を繰り返していた。家族によると、2年前に肺がんと診断され、昨年2月には左肺を摘出した。術後は驚異的な回復で仕事に復帰し、米国でのメジャーキャンプの取材なども精力的にこなしていた。しかし、同7月に左足大腿骨に転移していたことが判明。年明けになって症状が悪化したという。

加藤さんは佐賀県出身。1970年、多久工業高校からドラフト外で西鉄入り。76年に阪神へ移籍後、レギュラーに定着した。プロ入り初本塁打は、初登板の江川卓からだった。83年に大洋(横浜)に移籍。二番打者に定着し、85年には、高木豊、屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」を結成、3人で3ケタの148盗塁を記録した。明るく、ひょうきんなキャラクターでファンからも選手からも人気を博し、90年に現役引退後はフジテレビの野球解説者として活躍した。

闘病中にはテレビ出演の機会が減っていたが、病床でもネット上のコラム『ひろかずの球心を突く』などで執筆を続けた。最終稿となった昨年12月7日には野球の星野ジャパンの話題に触れ、「しかしまだ終わりじゃありません。来年8月には北京での戦いが控えています。日本代表が成田に帰ってきた時には、胸に金メダルを下げて帰ってきてほしい!」と最後まで野球への情熱を傾ける文章で締めくくっていた。

古田敦也・前ヤクルト監督の話 「非常に驚いています。現役時代、解説者として神宮にいらしたとき、声をかけてもらったことを思いだしました。僕は年下だけれども、とてもフランクに声をかけてくださいました。とても話しやすかったです。あまりにも早すぎます」<1月21日 夕刊フジ>

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